飛鳥・法隆寺の謎
2004年 08月 05日
聖徳太子は、天智・天武に何を遺したか 世界遺産飛鳥・法隆寺の謎 テレビ東京編
天智天皇から聖武天皇の流れを順番がわかりました。法隆寺自体の謎よりは、天皇の権威争いの凄まじさが印象に残った。藤原氏が邪魔者を消す暗殺セクションみたいな家系だったとか、消しておいてその怨念を怖がってこまめに遷都していたとか。藤原氏も全滅した(消された)蘇我氏の血を引き継いでいる方が政治の上で有力だとかが複雑だった。
前から思っていたのだが、昔の方が欲望に純粋すぎて、行動が直情型。権力に登り詰めるためなら平気で誰でも殺せますといった感じ。だからその分、魂などへの畏怖もしっかりあって、殺した後はその魂への恐怖におののく。またはやられた側が実際に祟り返してそれが誰が見ても明らかに表れていたのではないか。そういう感覚もまた感じられた時代だったのではないか。
天智天皇から聖武天皇の流れを順番がわかりました。法隆寺自体の謎よりは、天皇の権威争いの凄まじさが印象に残った。藤原氏が邪魔者を消す暗殺セクションみたいな家系だったとか、消しておいてその怨念を怖がってこまめに遷都していたとか。藤原氏も全滅した(消された)蘇我氏の血を引き継いでいる方が政治の上で有力だとかが複雑だった。
前から思っていたのだが、昔の方が欲望に純粋すぎて、行動が直情型。権力に登り詰めるためなら平気で誰でも殺せますといった感じ。だからその分、魂などへの畏怖もしっかりあって、殺した後はその魂への恐怖におののく。またはやられた側が実際に祟り返してそれが誰が見ても明らかに表れていたのではないか。そういう感覚もまた感じられた時代だったのではないか。
by jasmic56
| 2004-08-05 13:08
| 本